DALMORE
 
モルトの
異国を思い起こさせる香りが
僕を遠く旅へと誘う
グラスを傾けるごとに
広がる味と香りを
今夜は、ゆっくりと、追いかけようか

旅は時に、一杯のウィスキーから始まる


「来週から、一週間休暇をもらったんだ」
 カウンターで僕は、バーテンダーに話しかけた。
「ご旅行でも ?」
 バーテンダーは、そう言った。
「いや・・なにも考えていなくて・・」

そう、別になにか計画があって休暇をとった訳ではない。
ただ、急に休みたくなった。
思えば、こんな長期休暇は久しぶりだ。
 旅行・・・僕は、旅が苦手だ。
なぜかと言えば、旅の間中、
現実の生活から逃避しているような感覚を覚えるからだ。
計画をたてて、一時を楽しんでも帰らなくてはならない。
この感覚を人に説明しても、どうも上手く伝わらないようで、
以来、僕は旅の話題自体を苦手としている。
学生時代には、そんなことを思ったこともなかった。
いつも、どこかへふらりと出掛けていた。
 それが、いつの頃からだろうか・・・
 こんなにも苦手になってしまったのは。

「新しくいれたボトルです」
 バーテンダーが、そう言ってウィスキーの瓶を置いた。
「ダルモアは、久しぶりだ」
牡鹿が瓶に刻まれた安定感のあるボトルは、とても印象深い。

「ストレートで」
 僕が注文すると、バーテンダーは瓶の形にふさわしい
 据わりのよいショットグラスに注いでくれた。

以前、ダルモアを飲んだのは、実は病院の中だった。
二年前、仕事中に名誉の負傷で骨を折ってしまった僕を、
旅行帰りの叔父が見舞ってくれた。
 叔父が旅した国は、スコットランド。
 旅の土産と入院の見舞いが、兼ねてしまったな・・・と、
 叔父は笑いながらベッドで情けない状態の僕に、
 ダルモアの瓶を差し出した。
叔父が旅先で選んだモルト、ダルモアは、
飲んだ後、暫く、まろやかな味と香りの余韻が残る。
その余韻に意識を預けると、心の中の大切な風景へと誘われ、
今の僕を透明にしてくれる。

あの日、叔父は病室で、
「ダルモアはゲール語で、川辺の広大な草原、
  そういう意味だ・・」と、教えてくれた。
叔父が、スコットランドのことについて語ったのは、その一言だけだ。
けれども、僕は今、グラスを傾けるごとに、
叔父が旅をした広大な草原、
薫る草の香、川の流れを追いかけることができる。
 そう言えば、旅は語るものではない、
 叔父は口癖のように言っていた・・・・。